墓所
開基 酒井作右衛門重勝
酒井重勝は、徳川家康の三河以来の家臣であり、数多くの軍功から別名「四度槍の作右衛門」(徳川実紀)と称されるほどでした。慶長2年(1597)、重勝の奥方が死去し菩薩を弔うため、慶長地震後の栄春寺の堂宇造営に尽力し、開基と崇められています。その後、関ケ原などで功を重ね、出世し、伏見城守備の特命を受けました。
慶長19年(1614)、伏見で死去。後に埼玉県にある酒井家の菩提寺である成安寺に葬られました。
長沼宗敬澹斎の墓・碑
江戸時代の代表的な兵学者である長沼宗敬の墓があります。
澹斎は寛永12年(1635)信州の松本で生まれました。
その兵法は、義兵王道論に立ち、鉄砲や海防も論じるもので、諸潘の門弟に支持され多くの尊敬を集めました。元禄3年(1690)伏見・竹田で死去。栄春寺に葬られました。幕末には会津や福山など多くの藩が長沼流兵法を採用、墓の横には会津藩により文化7年(1810)に顕彰碑が建立されています。